寺尾沙穂の奇跡
人は言葉に縛られる。人の限界は言葉の限界とも言えるかもしれぬ。そんな具にもつかぬ事を考える。わかっている、それは陳腐で浅い考えだと言うことを。
寺尾沙穂の音楽を聴いたとき、言葉の向こうに辿り着ける可能性を感じた。それは幻想なのかもしれない。昔、伊勢神楽に我を忘れ吸い込まれるように観たことがあった。薄暗い神楽殿の中で巫女が掲げる白い手は何かを語っていた。おそらく神との対話は言葉を使わない。でもやはり巫女の白い手は言葉だったように僕には感じられたのだ。言葉の壁を突き抜けた先にある言葉。それは人間の言葉にはなり得ないとどこかの哲学者が語っていた。
寺尾沙穂の音楽に同じものを感じたと言えば大げさだろうか。彼女は間違いなく人間の言葉で歌っている。もしかすれば、彼女の声と旋律との狭間にある、文章で言えば行間に漂う何かが、僕にそう思わせたのかもしれない。それは「何か」としか僕には言えないし、この思い込みとも言える物言いに、しばらくは浸っていたいのだ。
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POSTED Tuesday July 28th